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理想だけから行動へ!「お金の観念浄化」



皆さんご無沙汰しております。
新記事をお待ち頂いていた方お待たせ致しました(;´Д`)
ちょっと長いお盆休みのようになってしまいましたが、少しづつでも更新出来るようがんばります!
ということで、今回も藤本さんのブログから記事をお借りしてお伝え致します。

<転載記事ここから>

責任とは何でしょうか?

この言葉の意味は、普段間違ったものと結びつけられています。

真の責任とは、神への責任に他ならないからです。

あるいは、真の責任は自分自身の本性への責任に他ならないからです。

あなたは、社会や教会や国家に責任を負っているのではないのです。

あなたに家族や社会に対する責任はないとも言えます。

あなたが責任を負わねばならないのはただひとつ、それはあなたの本来の顔、
あなたの本来の実存なのです。

その責任を取ることで、他のすべての責任はおのずと果たされます。

自然になる事です。

自然な人間は責任を取ることが出来ます、何故なら感応する事が出来るからです。

自然ではない人間は決して感応する事がありません。

単に反応リアクトするだけです。

反応とは?機械的であるという意味であり、感応とは?機械的ではなく、
臨機応変に応答することをいいます。

美しい花を見ると、あなたはふと「きれいだな」とつぶやきます。

それが、反応なのか感応なのか見守ってみましょう。

それを深くのぞき込み、詳しく調べてみましょう。

口にした「きれいな花だ」という言葉は、この瞬間、
今ここで、あなたの内側から自然に湧き起こった感応なのでしょうか?

それは生の体験なのか、それとも他人が「花はきれいだ」と言っているのを聞いたので、
決まり文句をくり返しているだけなのでしょうか?

それをよく調べ、観察してみてください。

誰があなたを通して話しているのでしょうか?

それは、親かもしれません……
あなたは母親に連れられてはじめて公園に行った日のことを思い出したのかもしれません。

彼女があなたに「この薔薇を御覧なさい。なんてきれいなんでしょう!」と言ったのかもしれません。

そして、これまで読んできた本、これまで見てきた映画、
かつて話した人々それらすべてが「薔薇はきれいだ」と言っていたからかもしれません。

それが、あなたのなかにプログラムして組み込まれてしまっているのかもしれないのです。

薔薇の花を見たとたんに「きれいだ」と言うのは、あなたではなく、そのプログラムかもしれません。

それはレコードかもしれません。

それは、録音テープかもしれません。

外側の薔薇が引き金になって、ただテープがくり返しているだけであれば、それは反応です。

感応とは何でしょうか?

感応とは、その瞬間に起こるプログラムされていない生の体験の事です。

あなたは花を見ている、観念で目をふさがれることなく、しっかり花を見ている。

あなたはこの花の現前を見ている。

知識はすべて脇によけられている。

心(ハート)は感応し、頭マインドは反応する。

責任は心(ハート)から生まれる。

あなたは何も言わないかもしれません。

実際、「これはきれいだ」などと言う必要はないのです。

聞いた話ですが……

老子はよく朝の散歩に出かけたものだった。

隣家の男がついて行きたいと言うと、老子は言った。

「だが、いいかね。ぺらぺらしゃべらないこと。ついて来てもいいが、おしゃべりはごめんだ」

男は何度も口を開きたくなったが、老子の視線を感じて、なんとか言葉を押しとどめた。

だが、太陽が昇りはじめると、その日の出があまりにきれいなので、
誘惑に逆らえなくなり、老子が言ったことをすっかり忘れてしまった。

彼は「なんて美しい朝だろう!」とつぶやいた。

すると老子は言った。「ほら、口数が多くなってきた。君はしゃべりすぎる!君も私もここにいて、
太陽があそこに昇ってきている――私に向かって『きれいな朝日だ』などと言って何になる?

私には見えないというのかね?

私は盲目だとでもいうのかね?

そんなことを言って何になる?

私もここにいるんだから」

実のところ、「きれいな朝だ」とつぶやいた男はそこにはいなかった。

彼はくり返していたのであり、それは反応だった。

感応するときには、言葉がまったく不用になることもあれば、ときには必要になる事もあります。

それは状況によるでしょう。

しかし、必ずしも言葉が伴うとは限りません。

言葉が伴う事もあれば、伴わないこともあります。

感応は、心(ハート)から生まれます。

感応は、感情(フィーリング)であって、思考ではありません。

あなたはわくわくする――薔薇の花を見ると、何かがあなたの内側で踊りはじめ、
あなたの実存の内奥の核で何かがかき立てられる。

何かがあなたの内側で開きはじめる。

外側の花が内なる花に挑みかけ、内なる花がそれに感応する。

これが心(ハート)の応答です。

つまらないものに心を奪われていなければ、
心(ハート)がこの内なるダンスを踊れるだけのエネルギー、
有り余るエネルギーを蓄えることが出来るのです。

エネルギーが思考に消費されると、あなたの感情は飢えてしまうでしょう。

思考は寄生虫です。

思考は、本来なら感情に用いられるはずのエネルギーを食べて生きています。

思考は、エネルギーを搾取しているのです。

思考は、あなたの実存に起こる漏電のようなものです。

思考は、あなたのエネルギーを抜き取ってしまうからです。

そうなったら、あなたは穴だらけの壷のようになってしまい――何も溜めておけないので、
あなたはいつまでたっても貧しいままです。

思考がないと、エネルギーが内部に蓄えられて、そのレベルがどんどん高くなって行きます。

あなたは一種の飽和状態になります。

その満たされた状態において、心(ハート)が感応するでしょう。

そうなったら生は詩になります。

そうなったら生は音楽になります。

そこではじめて、そこでようやく、
みずからの言葉を行為によって実証するという奇蹟を行なう事が出来る様になります。

そうなったら「君を愛しているよ」と言うだけでなく、あなたの存在そのものが愛の証となります。

そうなったらあなたの言葉は無力なものではなく、そのなかに魂を宿すようになります。

あなたの言葉と行動が一致する時。

あなたの言葉と行動がちぐはぐにならない時。

あなたの言葉が誠実さで満たされる時。

あなたが自分の言った通りのものになる時。

そのような生のみが生きるに値するのです。

それまでは、あなたは一種の分裂した状態で生きているに過ぎません。

口ではあることを言いながら、別のことをやってしまうのです。

あなたの精神は分裂したままです。

言葉と行動がもはや分離せず、同じ現象の二つの側面になる地点に到達しないかぎり、
人類はみな精神分裂症にかかっていると言えます。

あなたは感じる通りのことを言葉にし、言葉通りのことを感じるようにならなければなりません。

言葉通りのことを行い、行なう通りのことを言葉にするように。

そうなれば、あなたを観察するだけで、あなたの実存がまがいものでないことが見えて来るのです。

それを一言で言えば、「覚醒」です。

<記事転載ここまで>

いかがでしょうか?

反応と感応。

よくあることで言えば、たいして暑くないのに「暑い」と言っていたり、
たいして寒くないのに「寒い」といってみたり、
たいして疲れても無いのに「疲れた・しんどい」と言っていたり・・・。

そうやって無駄な反応をしていることって心当たりがありませんか?

管理人もよく言ってました・・・。

そして「疲れた自分」をアファーメーションしてしまっていたり・・・。

大切なのは、『素直な心』であり『純粋な気持ち』ではないでしょうか。

余計な概念には囚われずに自分の心に素直に生きる。

何度も言っていることですが、『心も体も素直を保つ』これが基本なのだと思います。

もっと、素直に。もっとおおらかにそうありたいものですね^^

では、また次回にお会いしましょう(´-ω-`)b
一人でも多くの人に気付きが訪れますことを御祈り致します。
今回も最後までご拝読頂き、ありがとうございました。   

 

全人類が一日も早く気付きますように。
全世界が平和でありますように。


 See youヽ(´ー`)ノ
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2008.08.21 Thu l アセンション(次元上昇) l COM(0) TB(0) l top ▲

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